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2011.03.17 Thursday author : Yuko Kitamoto

3.11地震

残るものにあまり悲しいことは書きたくないし、書かないようにしてきたのでたぶんこれが最初で最後になるかと思いますが、アップしておきたいと思います。


まず、今回東北と関東で立て続けに起きた地震により尊い命を失った方々のご冥福をお祈りいたします。
天災を避けることは難しいと判っていても、今回の未曾有の惨事は多くの人の命や人生を奪い去った凄まじさは私たちの想像をはるかに越えたものでした。

そして、助かった命と、それを守ろうと活動する人たちが無事でありますように。


微力ながらも、私も何か支援できればと思っています。


そして、私のTwitterをフォローしてくれてる方、急にツイート数が増えてすみません。


いろいろ思うところがあり、今回は積極的に情報発信に関わることに決めて動いています。

私の父は、大阪の守口市と門真市の消防署の消防署員でした。

消防大学を出たエリートではなく、内部の試験を受けることさえ面倒で、母に説得されて一緒に勉強してもらってなんとか昇進した士長どまりの一介の隊員です。

今回の災害時にも警察・消防・自衛隊などが出動していますが、大きな災害で要請があって出動する自衛隊と違い、消防の人たちは震災などの災害時はもちろん、火災に土砂崩れなど、日常的に命を張っています。

そんなに毎日火事が起きるわけでもなく、普段は市のイベントの警備に借り出されたり、小学校の水難訓練、ビルの防災チェックをしているのですが、いざというときには現場に飛び込んでいくのです。

それでもらったお給料で生活しているのですから命を張るのは当然のことです。

実際にうちの父も、「●●宅火災の折に尽力し…」なんて賞状が何枚かいただいていました。仕事でやっているのに賞状をもらうということは、一体何をやったのかは怖くて聞けないままでした。
危険だと止められてもどんどん踏み込んでしまう人だったようで、余分に活躍して賞状ももらうけれど、始末書の常連らしいと母がこっそり漏らしてくれました。
住宅火災の場合はよほど大きく燃え広がらない限り報道の扱いも小さいです。
父親も「今日あそこ消してきたでー」とは言いませんし、母も何をしてきたのかは聞きません。
それは我が家の不文律なルールでした。


でも、ふとしたときに「△△の工場の火事のとき、ドア開けようとしたら爆発したことがあって危なかった」と口にしたり、土砂崩れの現場での悲しい現実についてもぽつりとつぶやくことはありました。
夜勤明けでどこにも寄り道せず、朝8時頃にちょっと焦げ臭い匂いで帰ってくると、「夜に火事があったんだな、大変なことをしているのだろうな」と感じたのを覚えています。

よそのうちのお父さんは毎日帰れるけれど、消防署勤務には夜勤があるため、2日に1度しか帰ってきません。
もし災害が起きたときに一緒にいたたとしても、現場に出動しなきゃいけないので一緒にいることもできません。
例え無事であっても、危険な場所へ向かうこと。それが仕事なのです。

そのため、いざというときに父がいなくてもちゃんと生き残れるようにと、火事や地震の時の対処方法について教えこまれて育ちました。
なかには「百科事典とかの厚い本は燃え残るので、大切なものとかへそくりは入れておくいい」など、彼の性格が出るアドバイスもありましたが…





残念ながら、その父は昨年の春、他界しました。


父の闘病から別れまでの間もこのブログを書いていましたが、それについては全く記してきませんでした。


あえていま彼について書くのは、地震が起きて思い出すのが父の言葉だからです。


マンションを借りるならば1階に住んではだめ(防犯だけでなく、つぶれる確率の問題)
料理していたらガスを切れ
地震が起きたらテーブルの下に隠れて、棚や天井から身を守れ
テレビや箪笥の前にはいるな
ドアはすぐにあけろ
ゆれが治まってもエレベーターには乗るな
外に逃げられないときはトイレに入れ(実家のような一戸建てなどの場合ですが、柱の数に対して面積が狭いのでつぶれにくいとか)

…もちろん津波の話も。


もし元気に生きていたら、どうしていたかなと思うのです。



そして、こんなことをつぶやいてみました。


とはいえ、普通は無理ですよね。

普段大人なつぶやきをしている方が家族とつながらず、パニックになっているのも読みました。


災害時、電話は直後はつながります。
我が家はその一瞬を逃したらもう連絡が取れないのが当たり前だと教え込まれているので、そもそも連絡するという発想がありません。

残念ながら、生きていれば、そのうちちゃんと会える。そう信じるしかないのです。

防災用の専用回線が優先されるため、つながりにくくなる。そこに皆が殺到するのですから、無理な話なんです。
でも怖いのが、逆に119番や110番をかけようとしてつながらないことです。
双方が掛け合っていて、つながらない場合もあります。

もし冷静になれて、相手のいる場所が震源近くでないのであれば、かけない、という選択肢も加えてみてください。
今回のような場合だと、スマートフォンならばSkypeなどアプリケーションを使うというのも手です。


今回宮城沖で地震が発生したとき、私は自宅にいました。一旦退避してみたものの、取材で外出の予定だったため、エレベーターが止まるなか自転車を担いで階段を降り、街に出ました。

渋谷の街には帰宅手段をバスとタクシーに求め、長い長い行列ができていました。宮益坂からできた行列は、渋谷のスクランブル交差点まで最後尾が達するほどです。
そして国道246の神泉交差点には普段ならば渋谷方面に人が流れるはずが、池尻方面に人が流れ、歩いて帰ることを選択した人の波ができていました。


そして、帰宅。

厳しい現実を目の当たりにするなかで、私は、私ができること。
情報を編集して流すことをやろうと決めました。

たくさんの情報がTLで流れてくるなかで、有用なものを取捨選択し、デマは食い止める。


普段そんなにTwitterを使わない人間が急にやりはじめて、不快に思う人もいるかもしれない。
何そんなに息巻いてんの〜と思われるかも。

少しつぶやいたあとで、こう更新しました。


このあと、自宅から電車の復旧状況、休憩場所や帰宅困難者が夜を過ごせる場所を更新し続けました。

嬉しいことに、怒涛の更新を続けたにも関わらず、フォロワーさんが減らなかったこと。
(そんなことどころじゃなかったのかもしれませんが)


しばしこの体制が続きますが、面白くて元気になるようなツイートもどんどんRTしていきます。



最後に、これは私の個人的な意見です。


私が消防士の子供として生まれ、育ってきて持った価値観の元に思っていることです。

これが100%正しいとは思っていません。

同じ姉妹でも、うちの妹は全く違う考え方です。

みんなコピーみたいに同じ人生を歩むわけではないですから、考え方が違うのは当然のこと。

Twitter上でもあれを言ったら「それはおかしい」これを言ったら「不謹慎だ」といろんなことが起きているようです。

私は、行動する自由があるように、文句を言っていいと思っています。
(ただし、言いっぱなしじゃなくて、ちゃんと反論が返ってきたときに返す自分の言葉を持っているべきだとはおもいます。誰かが言ったからとかの借り物の言葉じゃなくて。)


日本は民主主義国家で、個人には発言権があるわけですから。


いろんな選択肢があっていいじゃないですか。



だから、私は私ができること、やりたいことをやって生きていきます。


それが、私が生きている意味のひとつだと思うから。





(転載NGでお願いいたします)
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